頭がおかしくなると書く
それが恋(変な心)
私が初めて
恋をしたのはいつだっけ
確か
保育園に通ってた時
近所の女の子と
ままごと遊びをしていた時だろうか
彼女の名前は「みさき」といった
そんなことまでよく覚えているものだ
恋とは不思議なものだ
ホントウニその子しか目に入らなくなってしまう
もっとも
意中の子と思いが通じ合ったことは
あるにはあるが
深い仲まで
つまり
恋人関係にまでなったのは
これ29まで生きてきて
二回しかない
あとは
なんかぼくの優柔不断で終わってしまう
もっと積極的だったら、、なんて思う
ぼくは16の頃大恋愛をした
真に彼女とは愛し合い
ぼくらは湖の綺麗な公園で
互いに睦み合った
それは天国のような
ぼくにとっての体験だった
クラスで成績も一番になり
バンド活動も当時から楽しみながら
最高の、
そう青少年時代と
言ったところか
地に堕ちたのは
結局それからのことだったが
ぼくは人を大事にするのが苦手だ
モノを大事にするのはさらに苦手だ
ぼくはクリスマスプレゼントを忘れ
彼女から借りた本をしわくちゃの台無しにした
結局彼女には振られ
そこから僕は堕ちに堕ちた
泣いて
泣いて
泣いて泣いて
それからだ
ぼくは誰より孤独を
いや、
実を言えば
小学校5,6年の二年間は不登校で
そのときから孤独そのものだったのだが
ぼくは誰より哀しみを
せおって
それからの人生を送ることになる
それが今に密接につながっている
これは伝えなければならない
ひとというものは
誰かと、つまり愛する人と
側にいてくれる人が
両者は同じかもしれないが
いなければならない
ということ
さみしい
これよりつらい感情は存在しない
ということ
そしてひとりは
ひとりでいることは
心を蝕む、つまり愛するもの、家族でもいい
誰でもいい
なにがしか
繋がりがなければ
ひとは自分を大切にすることが
できなくなってしまいます
ここが大事
私たちは
関係性の上に成り立っているのです
これが
お釈迦様の発見した哲学です
縁起というのです
もちろん人は
いつかは独りで死んでいくのでしょうが
道中延々
誰もいなければどうでしょう
生きる意味など、歓びなど
誰かの存在なしで
どう定義できると
いうのでしょうか
ぽっかり空間の中に
ひとり残されてごらんなさい
それより恐ろしいことはないはずです
さみしい
ということ
人目を避けあえて孤独に生きるのと
わけが違うのです
それもそれ
まだ少年時代に、まだ幼さの残るころに
そんな孤独を味合わされてごらん
人生とは
なんと辛いものだろうかと
思い詰めても
決しておかしくはないはず
わたしは
誰かのために
生きていくでしょう
そうすることを
天よりの使者として
ただの雨粒であろうと
MEGUMU
恋から脱線しましたね
でも
これが書きたいことなのです